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10月の掲示板

人生から返ってくるのは いつか あなたが投げた球

「茶柱がたつといいことがある」今はそんなことをいう人は少なくなりましたが、この言葉の因果関係とは一体何でしょうか。調べてみると、「柱」には物事全体を支えるものや人という意味から、大黒柱や床柱のようにしっかりとした柱が立つことはその家の繁栄になることから、茶柱がたつとよいことの兆しと考えられていたそうです。しかし、もともと高品質の新茶には茶柱(茎の部分)はほとんど混入しておらず、一説では人気のない番茶を売りやすくするために、お茶の産地の商人が「茶柱がたつと縁起が良い」と触れ回りそれが広がったともいわれています。

お釈迦さまは、すべてのものは因と縁から成り立っているとお示しになりました。例えば花の種を土にまいて(因)、水・肥料をあげて日光をあて(縁)、やがてきれいな花が咲く(果)ように、今私がここに生きていることも因があり、多くの縁があったから今の私があるということです。両親をはじめ多くの方々がこの私をすてておかなかったということです。苦悩する衆生を決してすてずにはおかないという誓いをたてられた阿弥陀如来という仏さま。私たち人間の一生は煩悩に振り回されてばかり。自分が投げた言葉という球がやがて私のところに帰って来ることに後になって気付されることもよくあります。浄土真宗は如来さまからお育てを受けるみ教え。如来さまの智慧と慈悲の光は、いつも私という人間の心を照らし続けてくださいます。