サイトアイコン 浄土真宗本願寺派 宝林山養行寺

7月の掲示板

「あたりまえだ」と言うて まだ不足を言うて 生きている

「あたりまえ」の反対は「ありがたい」。私たち人間は、自分の身の回りのことに、「ありがたいありがたい」と
「感謝をしながら生きていければ素敵だなぁ」とは思いつつ、それとは真逆の考え方をするときもあります。つま
り、「あたりまえあたりまえ」。

親鸞さまは、浄土和讃の中に「智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かぶらぬものはなし 真実明
に帰命せよ」と、詠まれています。この和讃のお心は、真実に目覚めた阿弥陀さまの智慧の光は、あらゆるものを
照らす。この光は、凡夫の心では量り知ることができないない無量光であり、暁の闇を破る。ただひたすら欲望を
満たすことに精一杯な生き方をし、それに気づかない私たちに、煩悩だらけであるとありのままの相(すがた)に
気づかせるはたらきが「如来さまの知恵の光明」であります。

私たちのありのままのすがたを見ておられる阿弥陀さまだからこそ、「そんなことではだめだ」という注文は付け
られません。「そのままでいいよ」と、認め許してくださいます。「真実明」だからこそ、安心してすべてをまか
せられる仏さまが阿弥陀仏でありましょう。

                参考文献  白川晴顕 著  「浄土和讃を読む」

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